【院長ブログ】顔面神経麻痺の回復をあきらめないために
最新の再生医療・幹細胞上清液がもたらす新たな可能性
朝起きたら、鏡に映る自分の顔が左右で違っていた。口から水がこぼれる、目がうまく閉じられない。こうした突然の出来事に、強い不安を感じている方は少なくありません。顔面神経麻痺は、私たちの日常生活において「表情」という非常に重要なコミュニケーション手段を奪い、精神的にも大きな負担を強いる疾患です。

現在、顔面神経麻痺の治療にはステロイド投与やリハビリテーションといった標準治療が確立されていますが、残念ながらすべての患者様が完全に元の状態に戻れるわけではありません。特に発症から時間が経過したケースや、重度の麻痺が残ってしまった場合、既存の医療では限界を感じる場面もありました。
しかし、近年の再生医療の進歩により、新しい選択肢が登場しています。それが「幹細胞上清液」を用いた治療です。本記事では、顔面神経麻痺の基礎知識から、最新の研究論文に基づく幹細胞上清液の可能性について、専門的な知見をわかりやすく紐解いていきます。
- 顔面神経麻痺とはどのような病気か
顔面神経麻痺は、脳から出て顔の筋肉(表情筋)へとつながる「顔面神経」が、何らかの原因でダメージを受けることで起こります。この神経は、眉を上げる、目を閉じる、口角を上げるといった動きだけでなく、涙や唾液の分泌、味覚の一部も司っています。
主な原因と分類
最も頻度が高いのは「ベル麻痺」と呼ばれる原因不明のものです。かつては冷えやストレスが原因と言われていましたが、現在では潜伏していた「単純ヘルペスウイルス」の再活性化が深く関わっていると考えられています。
次に多いのが「ラムゼイ・ハント症候群」です。これは水痘・帯状疱疹ウイルスが原因で、耳の周りの湿疹や強い痛み、めまいなどを伴うことが多く、ベル麻痺に比べて予後(回復のしやすさ)が厳しい傾向にあります。その他、外傷や中耳炎、脳腫瘍などが原因となることもあります。
主な症状
典型的な症状としては、顔の片側が動かなくなる、目がしっかり閉じられないため乾燥して痛む、口角が下がって食べ物や飲み物がこぼれる、といったものが挙げられます。また、音が大きく響くように感じたり、舌の半分で味を感じにくくなったりすることもあります。
標準的な治療と経過
発症後すぐ(ゴールデンタイムと呼ばれる72時間以内)に、神経の炎症を抑えるための高用量ステロイド薬や、ウイルスの増殖を抑える抗ウイルス薬を投与するのが一般的です。
多くの場合、数週間から数ヶ月かけて徐々に回復していきますが、神経の損傷が激しい場合は「後遺症」が残ることがあります。代表的な後遺症には、笑おうとすると意図せず目が閉じてしまう「病的共同運動」や、顔がこわばる「顔面拘縮」などがあります。こうした状況に対し、新たなアプローチとして期待されているのが再生医療です。

- 幹細胞上清液が持つ可能性
これまで、再生医療といえば「幹細胞そのもの」を移植するイメージが強かったかもしれません。しかし最新の研究では、幹細胞が分泌する成分、すなわち「上清液」に、傷ついた組織を修復させる強力なパワーがあることがわかってきました。
幹細胞を培養する過程で生じるこの液体には、数百種類もの成長因子(グロスファクター)や、細胞間の情報伝達を担う「エクソソーム」が含まれています。これらは、いわば「修復の指示書」のような役割を果たします。
顔面神経麻痺において上清液が期待される理由は、大きく分けて3つあります。
・第一に、神経を攻撃している過剰な炎症を鎮めること。
・第二に、ダメージを受けた神経細胞そのものの死を防ぎ、再生を促すこと。
・第三に、神経を包み込み、電気信号を正しく伝える役割を持つ「シュワン細胞」を活性化させることです。
細胞そのものを使わないため、拒絶反応やがん化のリスクが極めて低く、非常に安全性の高い「次世代の治療法」として注目を集めています。
- 最新の医学論文に見る幹細胞上清液の効果
- それでは、実際にどのような科学的根拠(エビデンス)があるのでしょうか。2024年から2025年にかけて発表された、権威ある医学誌の査読済み論文を3つご紹介します。

論文紹介(1):炎症の「火事」を鎮め、修復環境を整える
タイトル:Mesenchymal Stem Cell-Derived Exosomes Promote Recovery of The Facial Nerve Injury through Regulating Macrophage M1 and M2 Polarization by Targeting the P38 MAPK/NF-κb Pathway
掲載誌:Aging and Disease (2024年)
この研究は、間葉系幹細胞から抽出されたエクソソーム(上清液の主要成分)が、顔面神経の回復をどのように早めるかを解明したものです。
研究グループは、神経が損傷した際、体内の免疫細胞である「マクロファージ」がどう動くかに注目しました。損傷直後は、炎症を促す「M1型」というマクロファージが増え、修復を妨げることがあります。上清液の成分は、このM1型を抑制し、反対に組織の修復を助ける「M2型」へとスイッチさせる働きがあることを証明しました。
つまり、上清液は単に神経を刺激するだけでなく、神経が育つのを邪魔する「炎症」という火事を鎮め、最も効率的に再生が進む環境を整えてくれるのです。
論文紹介(2):神経の「インフラ」を守る、歯髄幹細胞の力
タイトル:Dental pulp stem cells alleviate Schwann cell pyroptosis via mitochondrial transfer to enhance facial nerve regeneration
掲載誌:PubMed Central / 関連学会誌 (2025年1月)
こちらは、私たちの歯の中にある「歯髄(しずい)」から取れる幹細胞の上清成分に注目した、非常に新しい研究です。
顔面神経の再生において鍵となるのは、神経の周りを取り囲む「シュワン細胞」です。神経を電気コードに例えるなら、シュワン細胞は絶縁体のカバーのような存在です。このカバーが壊れると、信号が正しく伝わりません。
この研究では、歯髄幹細胞由来の成分が、シュワン細胞の特殊な細胞死(パイロトーシス)を劇的に防ぐことを突き止めました。さらに驚くべきことに、上清成分がダメージを受けた細胞の「ミトコンドリア(エネルギー工場)」を修復し、細胞の元気を復活させるメカニズムも示唆されています。歯髄由来の幹細胞は、その成り立ちから神経系との相性が非常に良いことが、改めて証明された形です。
論文紹介(3):特殊な培養法でパワーアップした上清液
タイトル:Hypoxic bone mesenchymal stem cell-derived exosomes direct Schwann cell proliferation and facial nerve repair
掲載誌:International Journal of Nanomedicine (2024年)
上清液ならどれでも同じというわけではありません。この論文では、幹細胞をあえて「低酸素状態」という過酷な環境で培養することで、より強力な再生能力を持たせる試みが報告されています。
低酸素状態で培養された幹細胞は、「ピンチだ、修復成分をもっと出さなければ」というモードになり、分泌されるエクソソームの質が変化します。実験の結果、この「パワーアップした上清液」は、通常の環境で抽出されたものよりも、神経細胞の増殖と移動を強力に促すことが確認されました。
これにより、麻痺した顔面の機能回復スピードが早まる可能性が示されており、今後の臨床応用において「どのような上清液を選ぶべきか」という重要な指標を与えています。
皆様に伝えたいこと
ここまで少し専門的な内容をお話ししてきましたが、大切なことは「顔面神経麻痺という難しい病気に対し、医学は着実に新しい武器を手に入れている」ということです。
標準的なステロイド治療は、いわば初期消火です。しかし、火が消えた後に焼け野原となってしまった神経の回路を、どうやって元通りに再建するか。そこが長年の課題でした。幹細胞上清液は、その再建現場に「有能な現場監督」と「最新の建材」を送り込むようなイメージです。
もちろん、この治療は現時点で認められた治療ではありません。また、すべての方に100パーセントの効果を保証するものではありませんし、治療を受けるタイミングも重要です。しかし、既存の治療だけでは限界を感じている方、少しでも後遺症のリスクを減らしたいと考えている方にとって、最新の論文に裏打ちされたこの選択肢は、大きな希望の光になるはずです。

顔面神経麻痺は、鏡を見るたびに心が痛む病気です。ですが、現代の医療は「治らない」とされていた領域に、再生医療という新しい扉を開こうとしています。
もし、顔面神経麻痺の回復について不安や疑問をお持ちでしたら、一人で抱え込まず、ぜひ一度ご相談ください。
医学の進歩は、患者様の「また笑いたい」という願いを叶えるためにあります。科学的根拠に基づいた最善の道を、共に探していきましょう。